丹波屋探訪記

・いにしえの丹波屋を訪ねて 秩父金昌寺・

こんにちは!

丹波屋は今年で創業332年。この年を無事迎えることができたのも、ひとえに皆様のご尽力のおかげと感謝申し上げます。その年月の中で、乗り越えてきた幾つもの出来事や、歴史として受け継がれている物、事・・・。これから皆様にこのスタッフブログの中でお伝えしていきますので、もっと身近に丹波屋を感じていただければと思います!

今回は、丹波屋をずっと守ってくださっている埼玉県秩父市にある金昌寺のご紹介。このお寺は、秩父札所巡りでは札所4番目にあたります。「札所巡り?」聞き慣れない方も多いかと思うのですが「お遍路」とも呼ばれています。お遍路と聞くと、心の深い癒し・無の境地・過去の罪を償うなどが浮かんできたのですが、最近では健康の為・開運の為・ハイキングがてらと札所巡りを楽しんでいる方が多いそうです。私が足を運んだ11月下旬の秩父は紅葉の見頃を迎え、訪れた人たちの心を癒してくれています。

金昌寺は秩父札所4番目の石仏の寺として名高いお寺で、大わらじが印象的な仁王門をくぐると、様々な表情をもった多くの石像が迎えてくれました。本堂に通じる短い坂道を上ると、寛政三年(1791年)に丹波屋6代目当主五郎兵衛が奉納した「亀の子地蔵」があります。元々は亀の上にお地蔵さんが乗っていて、池のほとりにあり亀の口から噴水が池に注いでいる、当時としては珍しい石仏だったと伝えられています。なぜ亀が石仏の上に?と思ったのですが、その意図は石仏が永く倒れない様に万年生きるとされた亀の上に乗せたといわれており、末永い子孫の繁栄を願った6代目の優しい思いが伝わってくるような気がしました。
亀の子地蔵の建物の前に立つ石碑には、大正十年に12代目当主金井五郎兵衛がこの場所に立て直したとあり、石碑の裏面には、親戚・支店・店員・職方・鳶・石工などの名前がずらりと刻まれていて、当時の丹波屋の盛業を知ることができました。周りの人々を大切に大事に思う・・・そんな丹波屋当主イズムは今でも残っています。

境内では他にも、十一面観音・慈母観音など様々な石仏を見ることができました。そして私の目にとまったのが「徳利地蔵」このお地蔵さんは、お酒の席で失敗した名主が禁酒を誓ったことに由来するとのこと・・・。私も「今日からお酒を控えます」と軽く手を合わせましたが、すでに購入済の銘酒「秩父錦」が車にあることを思い出し、後ろめたさを感じながら夕暮れの金昌寺を後にしました。

いにしえの丹波屋、初回は金昌寺をご紹介しました。またこれからもいろいろな丹波屋をたどり、ご紹介していきます。よろしくお願いいたします。