NEW丹波屋探訪記

・「戦後日本コスチュームジュエリー史」・ アクセサリーミュージアム 祐天寺

こんにちは!

夏に向かって薄着になってくると、手首や首元をだす機会も増えて、ちょっとアクセサリーを着けたくなってくる私です。一番最初に着けたアクセサリー、記憶にあるのは子供の頃のお祭りの夜店で買ってもらった指輪?もしくはお菓子のおまけに付いていた、プラスチックのペンダント?かなと・・・そしてそんな子供用のアクセサリーを身に着けて、母親の化粧品をこっそり借りて大人の真似をしてドキドキしていました。
そんな子供の頃からアクセ好きの私に、目黒にある「アクセサリーミュージアム」で「戦後日本コスチュームジュエリー史」の企画展があるよとの情報が!なので先日じっくりと歴史あるアクセサリーたちを堪能させて頂いてきました。

東急東横線の祐天寺駅を降りて、落ち着いた雰囲気の住宅街の中を数分歩くと、アクセサリーミュージアムに到着。館内に常設で並んでいるアクセサリーもたくさんあったのですが、まずは2階の常設展へ。そしてなんと館長の田中元子さん直々からレクチャーいただけることに!田中さん、とてもお洒落でパワフルで素敵な方でした。コスチュームジュエリーとは、貴金属や宝石など高価な材料を使って作るジュエリーと区別されるもので、ファッション性を重視し、素材を問わずに作られた装身具の事を指すそうです。今回は「企画展Vol.45戦後日本コスチュームジュエリー史1950-2000」を拝見してきました。

1950-2000年の年代ごとに、展示ブースが分かれていて、その時代のanan、ソレイユなどの雑誌も合わせて飾られていて「あー!この雑誌ってこんなだった!」と思わず声をあげてしまうほどの懐かしさでした。1950年代のコーナーで目にとまったのは、この女の子イラストのペンダント。他ではあまり見かけず、絵付け職人さんが他社にはいなかったのだろうか?と思われたそうです。

そしてこの赤い花のブローチは当時ものすごい数が売れたそうです!館長の田中さんが、お父様の経営するアクセサリー製造卸「東洋産業商会」に入社され、初めてデザインされたブローチで、デパートに並ぶやいなや、女性たちが次々と手に取っていったそうです。その女性たちの嬉しそうな顔を見て俄然やる気がでた田中さん。その時の気持ちが、今も続く「アクセサリー愛」の源になっているんですね。

1970年代のコーナーでは、ananのキャラクターだったパンダがいました!「あー!見たことがある!」とここでもなつかしさ倍増です。ananのクリスマス特集のスイーツレシピや欲しいお洋服や雑貨の部分を切り抜いてスクラップブックに貼って保管していました。ヤング向けとあった、プラスチックのブローチも懐かしい!プラスチックのボタンもお稽古バッグに縫い付けてもらったり、瓶にボタンをただただコレクションしたりとしてました。

田中さんは、デパートと多くお取引されてきたそうで、伊勢丹のバイヤーさんと考えた、こちらのカーディガンクリップもとにかく売れたそうです!女性が軽く肩にカーディガンを羽織るスタイルが人気だったそうで、そんな着こなしにぴったりのアクセサリーですね。今でもストールや大判のマフラーを羽織る時に使いますよね。とにかくいろいろなアクセサリーを見て、そこからインスピレーションをえて、アクセサリーにする。とにかく忙しい日々だったそうです。

企画展と常設展と本当にたくさんのアクセサリーやお洋服や美術品の展示があり、今回のブログでは紹介しきれないほどです!田中さんにその年代ごとに展示されているアクセサリーの背景や、当時のご自分の体験、お洋服の流行など、たくさんの事をお話し頂き、アクセサリーを拝見しながら、自分の記憶をたどり、思い出にふれることもできました。とにかくアクセサリーが大好きで、お洋服も大好きで、お洒落で、行動力もある素敵な田中さん。私がとても印象に残ったのが、ガレのフロアランプのコレクションの前でおっしゃった「いいものをみなさいって言われたの」という一言でした。ガレのフロアランプをプレゼントしてくださった方のお言葉だそうです。丹波屋の会長もよく私たちに同じことを語ります。良いものや良いデザインに触れて、本物を知るということは、自分の感性を育てる意味でも大切なことなのかもしれませんね。

アクセサリーの展示を見た後は、ショップでお買い物、アクセサリー教室(要予約)に参加もできますよ。アクセ好きのみなさん、ぜひ!

アクセサリーミュージアム
東京都目黒区上目黒4-33-12
http://acce-museum.main.jp