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「おしろいの風薫るなり柳橋」子規 -柳橋界隈-

こんにちは!街歩き大好きO.Sです。

今回の街歩きは、丹波屋本店からほど近い「柳橋」界隈をランチ後に散策してみました。丹波屋のお店から出発し、靖国通り両国橋に向かうと、橋の手前を左に曲がるとすぐに橋が見えてきます。今日は、一旦橋を渡り、隅田川テラスに出て対岸の両国国技館や東京スカイツリーを眺めながらのランチタイムを楽しみました。

柳橋は、丹波屋から歩いて5分ほどの場所にあり、特徴的な緑色の橋は、隅田川に合流する神田川にかかる最後の橋です。

現在の橋は、1929年に建造されたもので、永代橋のデザインを模倣したローゼ形式のアーチ橋です。戦災を免れて現在もその姿を保っており、夜にはライトアップされるそうです。次回は近くで飲んだ後に見てみようと思います。

橋の下には多くの屋形船が係留されており、ビルが立ち並ぶ都会の風景の中でも、江戸の風情を感じることができます。柳橋界隈は、昔から新橋や赤坂と並んで、三大花街の一つでした。昭和3年頃には、料理屋や待合が62軒あり、芸妓が366名もいた大規模なエリアでした。芸妓の技芸も優れており、新橋演舞場や明治座で活躍していました。

橋を渡った先には、「lucite gallery(ルーサイトギャラリー)」という旧家を改装した骨董店・ギャラリーがあります。本日は休みのようですが、花街一の人気芸者市丸がかつて住んでいた家を改装したお店です。市丸は、長野から19歳で上京し、清元・長唄・小唄の名取となり、その美貌と美声で一躍有名になりました。最盛期には一晩に10数件のお座敷を掛け持ちすることもあったそうです。

その近くには、江戸時代の面影を残す小さな稲荷神社があります。石塚稲荷は、浅草御蔵前元旅籠町の居住者有志によって創建され、1688年に当地へ移転したとされています。柳橋花街の痕跡がこの神社にも見られます。

柳橋は、舞台や映画で有名な瞼の母の番場の忠太郎の場所としても知られています。博徒の忠太郎が母親である柳橋の料理屋の女将に会いに来て、失望のうちに立ち去る場面が有名です。

橋を渡った場所には、「亀清桜(かめせいろう)」という料亭があります。安政元年に創業し、明治時代には伊藤博文が利用したことでも知られています。その名前は、森鴎外や永井荷風の文学作品にも登場しています。
そして、正岡子規の歌にも「おしろいの風薫るなり柳橋」と詠まれるなど、その美しさが詩人たちにも讃えられています。

帰りには、友人に勧められた神田川沿いにある老舗の和菓子屋さん「創業嘉永3年の梅花亭」で、三笠山を購入して自宅へのお土産にしました。