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両国橋を渡り赤穂浪士討ち入りの地 吉良邸跡散策 - 隅田区両国-

みなさんこんにちは!

今回の街歩きは、ランチを早めに済まして、丹波屋のある日本橋横山町から両国橋を渡り、本所(墨田区両国)の吉良邸跡へ向かいました。

吉良邸跡は、赤穂浪士討ち入りの舞台として知られ、歴史ファンにはたまらないスポットです。現在は、吉良邸跡地に本所松坂町公園があり、吉良上野介の座像や吉良家の家臣で討ち入りで亡くなった二十士の碑、首洗い井戸などを見ることができます。

義士の記録や絵画の銅版を見ると、テレビや映画で見た歴史のドラマが目の前に広がります。ここで繰り広げられた出来事が、討ち入りの舞台となった場所を歩くことで、歴史を肌で感じることができます。

赤穂浪士の討ち入りは元禄15年12月14日(1703年1月30日)に起こり、丹波屋の創業が1690年ですので、ちょうど干支が一回りした12年後位ということになりますね。毎年12月になると赤穂浪士の話題がTVなどで流れてきますが、現在で東京の12月に雪とあまり馴染みがないですが、1月の末であれば雪が積もっていても不思議はありませんね。

丹波屋のあった場所からは、隅田川を挟んで向こう岸となりますので、初代丹波屋五郎兵衛が、その朝お店の開店準備をしている時、対岸が何だか騒がしいなと思ったかもしれませんね!
赤穂浪士が討ち入り後、泉岳寺に向かう際、両国橋ではなく下流の永代橋を渡ったとされています。もし両国橋を渡っていれば、丹波屋近くを通って、その様子が代々伝わっていたかもしれません。

丹波屋がその当時すでに近くで商売を始めていたと思うと、赤穂浪士が身近な存在になったような気がします。

まだちょっと時間があったので吉良邸跡を後にし、本所の街を散策します。すると芥川龍之介の生誕の地を見つけました。子供のころ、「蜘蛛の糸」や「河童」などの小説を読んで知っている芥川龍之介が、この地で生まれ育っていたことは意外でした。もしかしたら両国橋を渡り対岸の横山町にも遊びに来ていたかと思うと、感慨深い思いが広がります。

芥川龍之介の小説の中にも赤穂浪士を題材にしたものがあるようで、赤穂浪士討ち入りの地が、彼の作品にどれだけの影響を与えたのかはわかりませんが、後に偉大な文学の歴史につながっていったのだと思います。

吉良邸跡、そして芥川龍之介の生誕の地まで巡るランチ散策。江戸時代から続く歴史や文学の足跡を感じることができ、素敵なひと時となりました。是非、丹波屋にお越しの際ちょっと足を延ばし、自分だけの散策ルートを見つけてみてくださいね。